いろんな方と出会えたお陰で、僕は生きています。生かされています
子供の頃の僕は、ヤンチャで(イヤイヤ、今も変わらんぞと外野席の声)
桐井君とは遊んではいけませんと、通達が出ていました。
そんな時でも、やさしく接していただいた方がいます。名は、出口ツ子さん。
「こらー、こうちゃん、あんたはもう…」とお叱りは受けるのですが、
ニコニコ笑いながら大切にしてもらいました。こんな方は、どこにもいませんでした。
僕、大好きでね。もう一度、叱ってほしいですね。
子供たちは、少し離れた場所にいるので、緊急時は僕に電話してと
キッチンに携帯番号をデカデカと貼ってありましたが、一度も電話は鳴らずず急逝されました。無念です
そうそう、娘が同級生でハツ子と言います。
ツ子さんの初めての子なので「ハ」を自分の名前に足しただけですよね。
なんて簡単な命名だと笑いません︖そんな豪快で明るく、元気なオバサンでした。
で、この方のご主人が三生さん。工務店の社長さんです。
若い頃、たびたび電話がかかってきて
「ご飯食べにおいな」と誘ってくれるんです。「はい、ただいま参上」
速攻でお邪魔してました。
そんなこんなで、お世話になりっぱなし、甘えっぱなしでしたが、
若くして死去されたんです。僕が30歳の頃です。
最後のお見舞いにお伺いした時に、
「なあ、桐井君。男はな、施しを受けて喜んでいるようじゃ一人前やない。
人に施して喜ぶ顔を見て喜ぶような男になれよ。あんたなら大丈夫」
この言葉は、感銘を受けました。
長い人生になりますが、僕の中では人生の道しるべになっています。
お二人に、感謝の気持ちを、忘れることはありません
自分の母を恩人と言うのも変ですが、母はクリスチャンでした。
生きていると、想定外の現実もやってきます。
今や、想定外を想定内にと考えているくらいです。
母の口癖がありました。
「あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。
むしろ、耐えられるように、
試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。」
と聖書に書いてあると言います。
ホントかよ。。もう耐えれんよなどと言おうもんなら、気の強い母ですから、
「男のくせに弱音を吐くな」と怒鳴ります。ワッハッハ、僕は生涯一度も
褒められたことは、なかったのですが
亡くなる直前に病室で、僕に言った事がありました。
「なあ、こうちゃん、あんたはやさしくて弱虫なのはわかってた。
だから、心を鬼にして叱り続けたよ」
うんうん、そうなんや。。大泣きしました。二人で大泣きね。
母の教えが蘇ってきます。亡くして教えの意味を、かみしめています。
その志を背負って頑張ろうと思っています。
♪私は今日まで 生きてみました 時には誰かの 力を借りて 時には誰かに しがみついて 私は今日まで 生きてみました そして今 私は思っています 明日からも こうして生きて行くだろうと 明日からもこうして生きて行くだろうと♪
「今日までそして明日から」By拓郎