公衆電話の画像はなに︖ なんか訳あり︖ そうなんです

今の若い子たちは知らない言葉でしょうね
「 集団就職 」
あの当時は御幸毛織の工場が名古屋の中心地にありました
中学校を卒業して働きに都会へ出てくるんです 昼間働いて夜に高校に行くのね

ほとんどが経済的な理由からです
みんな故郷が恋しくて 夜になるとシクシク泣くんだよ
それでも懸命に生きている 貧乏だけど明るく精一杯生きている

実家へ仕送りをするからお金がないね 懸命に生きても報われないね
アパートのお布団は、あれぞまさしくせんべい布団だね… でも懸命に生きる
僕はこんな素敵な人たちに出会えたことを誇りに思います

15歳で親元を離れ駅へ向かう時の心境って悲しい別れだったろうね.

鈴木啓三などは、両親が夜中にお金がない 困ったと話しているのを隣の部屋で聞いて
俺は出世して両親を幸せにしてやると心に決め名古屋に来たと言うね スゴイネ
ビックリして言葉を返せなかった

宮崎県都城の真理ちゃんは、特に寂しがりやで
毎日毎日、実家にこの公衆電話から電話をして泣いてました 忘れられない記憶です 
切ないね その公衆電話が今も残ってました チョッとウルットしました 幸せにしてるかな…


あの頃、絶句した想い出があります ある女の子が「 名古屋に出て来て良かった︕」
とニコッとしながら微笑むんです 「 なんで︖」すると「 毎日白いご飯が食べれるから」
意味不明やね 米は白いやろ︖
「 ううん、白いご飯は正月だけ 普段はヒエを食べてる」と言うのね
ヒエなるものは知らない 牛の餌だそうです
驚くと同時に涙が溢れました なんて切ない なんて人生は不条理なんだと思った瞬間です


ユルユル幸せに育ってきた子供と、底辺を泣きながら育ってきた子供
こんな仲間たちと一緒に青春時代を過ごせたことが僕の財産です

負けてなるものか︕これが合言葉でした
みんな、あの4年間が人生の基軸になっているはずだと僕は思っているんですよ 

あの頃の仲間も、このHPを見てくれているかもしれない みんなに言うよ
コロナ終息したら同窓会するぞ︕

さあ、集まろうぜ みんな楽しみにしてて 約束するよ︕

あの頃、お世話になった方々に心より御礼申し上げます

僕の人生 心豊かに紡ぐことができたのも皆さんのお陰です

もうどんなに逢いたくても 逢うことができない親友 鈴木啓三 
やっぱり俺は寂しいよ お前の写真は、いつも僕を見て笑ってる 啓三、安らかに

♪ラッシュ・アワーが 疲れを吐き出してる 人の多さまでが ものめずらしげに見えて
東京駅地下道の人ごみの中 Ah ひと群れの制服の娘たちがいる
真新しいスーツ・ケースを提げて 集団就職で今着いたらしい 
妙に腰の低い男が先頭にたって Ah 何とか会社の旗など振りまわしている
家を出る前の晩は 赤飯など食べて 家族揃って泣き笑いしたのかい
里心だけは まだ田舎の家に置き それでも家を出てくる魅力に負けて
吉田拓郎「 制服 」

萬珍軒で逢いましょう

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