もう、いないんですね 寂しいです
こんなことになるなんて考えてもいなかったです

昨年の大腿骨骨折から悪夢が始まりました
即、手術の段取りとなり翌日と決まりました
同意書もサインを済ませ待つだけとなったのですが、
直前検査で心不全が見つかり手術中に帰らぬ可能性が極めて高く
断念した方がいいと病院は言います。

どうしようか… 
どうする… 重い決断を迫られました
心が揺れ動いて体が震えています どうする…︖
手術をしないと歩けません
しかし、僕は覚悟を決めて命を選択しました
世話は、僕がする︕ この決断が間違いでした
あの時、リスクを背負って手術をするべきだった
あの判断が結果的に親父を苦しめることになりました
断腸の思いです

親父、ゴメンな 許してくれよ
最善の策と思った決断が間違っていた・・・
後悔ばかりで頭の中が混乱しています
僕は、この思いを背負い続けることになります


親父は、かわいい人でした
思うがままに生きて深く考えません そのまんまです
若い時から仕事ばかりしていました いつも工場にいました
誰よりも早く工場に来て一生懸命働いていた姿が忘れられません

1回目の骨折から2年半
僕が父にしたことは出来る限り寄り添ったこと
オムツ交換を毎日してましたが苦になりませんでした
大変だったのはお風呂だけです
湯船に浸かると起き上がれないので
服を脱いで湯船に入り背中を抱き上げ湯船から出します
これは大変でした
気ままな人なので冬は大変です
早く体を拭かないと
「 寒い︕寒い︕寒いやろ︕」と怒鳴ります アッハッハ 笑えます

僕の部屋のテーブルの上には、
いつもお菓子が20袋くらい並んでいます
例えば「 かりんとう 」「 しるこサンド 」「 みかん 」
「 市田柿 」「 柿の種 」「 天輪焼き 」
袋は、そのへんに捨てます ワッハッハ
いいんです、いいんです それでいいんです
好き放題、思うがままに生きてくれればいいんです そんな日常でした

最後に食べたのは「 寿司萬 」さんの、いなり寿司でした
寿司萬さんの先々代とは親友の間柄でしたから必死で食べていました
懐かしかったんでしょう 親父良かったな
最後に寿司萬さんのお寿司… これも運命的な何かを感じてしまいます

父を亡くしてから子供の頃を想うようになりました
祖母がいて両親がいて姉がいて弟がいて楽しかったな
あの頃は貧しくて両親も大変だったとは思いますが
貧しさの中に笑いもありました
スクーターの真ん中に僕を挟んで母が後ろ ワッハッハ
今では考えられない光景ですね

でも幸せでした
今の子供達には味わえない幸せ感ですよね 僕は幸せでした 
次号に続く・・・ 

関連記事