父の命日です
2年前の春分の日に天国へ旅立ちました…
もう丸2年の時間が過ぎました 早いと感じます
今でも一緒にいるような感覚です
いつまでたっても寂しさはなくなりません
親父がいたらなぁ… 毎日思ってます
51年前の春分の日は3月21日
その日に父とスバルサンバーで名古屋に行きました~
一人暮らしが始まります~
いよいよ1人の暮らしです~ 15歳になったばかり~
不安なんてありません この頃も怖いもんなし~ ワッハッハ
荷物なんてないです~ テレビも冷蔵庫もない~
あったのはコタツと布団だけ~
アッハッハ 考えると笑うしかないね~
それだけね ホントそれだけです~
もちろんお金もない~
どうやって暮らし始めたんだろね
でも、名古屋に熱い志と魂を持って行きました
それ覚えてます 熱かったね
僕の可能性は無限大だと15歳の時に思っていた 生意気なクソガキだね
ところがところが名古屋が近づいてくると、なんとなく口数が減ってきたんです…
いよいよ1人きりか…
その当時は、
両親がいて祖母がいて姉と弟と暮らしてます
6人家族が1人になる~
大丈夫かな… お金なくなったらどうしよ… とかね
まあ、子供なんてそんなもんだよね
父が帰るのを見届けたら気分が突然変わりました
寂しくてね…
家にいたら、当たり前にご飯は出て来る~
服も洗ってある~
朝は起こしてくれる~
日常は待っていたらすべて揃う~ これ普通ね
それが、すべてやらないといけなくなった~
ご飯がない~ ご飯がない~
その時初めて思った 両親に感謝した~ そうだったな そんな感じね
だから今でも父と走った名古屋への道は
昔を思い出しながら行くんですよ~
23号線の庄内新川大橋を左に曲がって
庄内川の堤防沿いを進みます
西枇杷島のあたりを西区の方角に行くと僕の聖地に到着します
何度、父と母と通っただろう…
いろんな想いを抱えながら
夢を見て通い続けた名古屋への道
この道を走ると、あの頃の
熱い情熱が蘇ってきてウルウルします
そして両親が浮かんできますね…
3人で良く頑張ったと思います
僕の両親との絆はみなさんより強い…
濃いんじゃないかな…
中学校の卒業式の帰り道 母と2人で歩いて帰った時、
「 名古屋へ言ったら頑張らんとあかんに 私は頑張れる子やと思っているから… 」
そんなこと言ってたな…
だから僕は、自分に負けるわけには行かないんです
両親との約束を守ります
♪19の頃だったと思うけれど
家を出る事に夢をたくして
1人きりで暮らしてみようと
希望に満ちていた時があった
たとえ都会の片隅であろうとも
何かが起こりそうな気がして
後ろ髪をひかれる想いを
明日のために絶ち切ってしまった
家を捨てたんじゃなかったのか
家を捨てたんじゃなかったのか
吉田拓郎 「 大阪行きは何番ホーム 」
そうだよな… 家を捨てたんじゃなかったのか…
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