拓郎の楽曲のギター進行コードを見てました。
不思議だね。五線譜という狭い場所に限られた種類のおたまじゃくし…。
でも、もう楽曲は出尽くしたということはなく、ここから無限に新しい曲が現れてくるね。
これってスゴクない︖配列の仕方でドンドン曲が生まれるね。
Backのアレンジを変えるだけで原曲とは思えない曲にも変化するね。う~ん。。
拓郎の楽曲でも大昔のが今ライブで唄うと新曲に感じるのが不思議だね。
可能性って限りなくあるよね
今日は、昼間ドタバタしてたので仕事が遅れました。珍しく夜の10時を回っても工場にいました
こんな時間までいるのは、ホント久しぶりです。なんか嬉しくなったね。
若い頃は普通の時間だったから懐かしく、いろんなことを思い出してました。
仕事が好きで工場は、僕の大好きな聖地。この場所で笑ったり苦しんだりしましたから。
昭和48年3月21日。15歳の、この日父親に乗せてもらって名古屋に向かいました。
希望と不安。母の泣きそうな笑顔に見送ってもらい家を離れたのを覚えてます。
名古屋に向かう道中、自分の今後にワクワクしながら行ったのね。
あの時の頃の初心や志最近忘れてるなあ。
着いたらね、さあ、明日からやったろかみたいなネ。
ワッハッハ、ところが困ったことの連続やね。
ご飯がない…今日のご飯どうする︖ パンにするか
初日は、それでいいよね。
2日目、3日目となってもパンとコーラね。その時初めて気付いたよ
母親の、いつもの食事のないことを。考えたことなかったね。
それが毎日続くとイヤになってきたね。
そこで考えたのが「 よし、カノジョを作ってご飯を食べさせてもらおう︕ 」
こんな計画を立てて、即実行︕
ところが、この計画は大失敗ね。なんとなんと料理が作れない子で
食べに行くことに;。。
そうすると2人分の食事代が必要となりパンも買えなくなりマイッタね
これ、笑いごとではないです。こんなはずではなかったね。
生活って大変だなと15歳で知りました。いやぁ、ホント大変やったね。
まだ友達もいなく、だんだん寂しくもなってね
学校に行って仕事もして、中学校までプランプラン、タランタランしてたので
環境の劇変は自分の中で変わって行くのが気が付き始めていました。
そこで僕に偉大な影響を与えてくれた仲間との出逢いが生まれたね。
続きはまたね
どこへ行こうと勝手だし 何をしようと勝手なんだ 髪の毛を切るのもいいだろう
気づかれするのは自分なんだ うまくやるのもいいものだ おいしいものには味がある
おしつけられたら逃げてやれ 気にする程の奴じゃない 人を語れば世を語る
語りつくしてみるがいいさ 理屈ばかりをブラ下げて 首が飛んでも血も出まい
吉田拓郎「 知識 」